(いしかわ・りま)
いまや、多摩地域で何かしら活動している人で彼女のことを知らない人はいないくらいの名物ライター。クルミド出版チームでも、主に『10年後、ともに会いに』には、彼女の本業としての編集力・校正力を惜しみなく注いでくれている。
また彼女はチームの長女的存在であり、公私にわたって、彼女を相談相手と慕う者は多い。いつか彼女が自分の夢へと動き出すことがあったなら、まわりからの支援は大変なものとなるだろう。
カラオケ80'sメンバー。ひまわりがよく似合う。
「人がその存在を傾け、心をこめてつくったものは、必ず受け取ってくださった方の心に届く」。クルミド出版がスタートしたときに作られたパネルの言葉です。会社員時代に編集部で働いていたときは、売上、広告、発行部数……数字がすべての中で、そんなふうに言い切りたくても、言い切れなかった。好きな仕事に就いたはずなのに、つくることに納得していない自分がいました。今では、心をこめてつくっています、つくっていきますと言い切れる。人の心に届くものをつくりたい――クルミド出版は、わたしを編集者になりたかった子どもの頃のわたしに戻してくれました。これからも、夢に向かう気持ちはまっすぐでいたいです。
(いまだ・じゅん)
2012年9月に始まった長期インターンシップは、気がつけば1年になった。地域通貨ぶんじ、シェアする暮らしのポータルサイト、音の葉コンサート、まち暮らしカンファレンス…。発行人と共有するToDoリストは、常時50項目を超える。素直、好奇心、チャーミングを地でいき、みなから愛される存在である。
自分を殺せるものは、やがてまわりから生かされる。尽くそう。
好きな飲み物:トマトジュース
好きな漢字:「愛」
特技:単位を取り損ねること。
リンク:猫背RADIO
クルミド出版チームのメンバーはそれぞれ必殺技を持っており、そのかけ合わせから色々な物が生まれていきます。しかし、自分には必殺技が何もありません。
感性が豊かなわけでも、絵がうまいわけでも、器用なわけでもない・・・そんな自分の強いて言うなら必殺技は、いざと言うときの機動力でしょうか。野球で言うなれば代走選手。 本を出す過程にも、突発的に人の手が必要になるときがあります、 そんなときに、一番に駆けつけられるよう、常にダグアウトにいるのです。
(おおにし・ゆうすけ)
クルミド出版/クルミドコーヒースタッフきっての変人。本への愛情深く、本棚づくりのボキャブラリーは天才的。彼の書いたつうしん11話は、発行人の胸に深く刻まれている。
クルミドコーヒーでは「クルミド文庫」を担当。本棚からお店に、季節の風を送ってくれている。そして2011年当時、「本をつくれたら、置ける棚がある」ことは、出版への妄想にリアリティを与えてくれた。
約束をすっぽかすなどポカも多いが、チームから世界的に有名な人物が出るとしたらまず彼だろうとは巷の評である。
クルミド出版の種はパリで蒔かれたと思うんです。2年前、お店の研修旅行でパリに行きました。カフェが芸術家たちを繋げ、新しい文化を創り上げた…そんな歴史をもつ街です。そこで吸収してきたあれこれを、僕らのフィルターを通して表現した。それが『クルミド出版』であると思っています。お店も出版も、全然違うようで根っこは同じ。きっとこれから、僕がクルミドコーヒーで働いていて出会った人たちのように、素敵なお客様に恵まれてゆくと思います。
(おおた・まき)
現在ロンドン留学中。クルミド出版つうしんの挿絵で知られる。
つうしん第5話で彼女が描いた「種から芽」の絵がよく、その絵の下に畑文恵が「クルミド出版」という文字を置いたときロゴが生まれ、「クルミド出版は、種を受け止める土だ」というイメージが定まった。
彼女がクルミドコーヒー在籍当時にリーダーシップを発揮し、始めてくれた「くるみ文具店」のあったことが、発行人をして本づくりを身近に感じさせ、クルミド出版を誕生させた一因となっている。
愛称、たまちゃん。
3年間アルバイトをさせてもらったクルミドコーヒーにて「出版」という、よう やく役に立てそうな機会が…(遅い)!
そんな時に西国分寺を離れなくてはならず、惜しい限りです。それでも遠くから 出来る範囲で関わらせていただいておりました。
一冊一冊、人との出会いを重ねながら、形さまざま色とりどりの本が生まれてい き、いつか本棚が森のように豊かに溢れる日を思い描いています。
近くにいても遠くにいても、その日まで応援したいクルミド出版です。
(かげやま・ともあき)
クルミド出版、発行人。
新しい可能性に出会ったとき、「できるかも」と考えてしまうのが、いいところでもあり悪いところでもある。2008年10月にクルミドコーヒーをオープンさせて以来、まったく先の読めない人生を送るようになってきた。
『10年後、ともに会いに』『やがて森になる』では著者と格闘しながらの編集も担った。いつか自身も本を書く野望があるとかないとか…。
西国分寺生まれ。
座右の銘は「犬も歩けば棒に当たる」。
出版業に関わるようになって、その業にまつわる様々な歴史や技術を知りました。かつて一つの本を作るのに、どれだけ多くの人の手が関わっていたかということも。
もちろん時代は変わり、機械化・電子化は進んでいます。そこには魅力も必然性もありますね。ですがやっぱり「手作りの本」もなくしたくないなと思いました。というのも、そうしたことが進めば進むほど、「あなたはいなくていいよ」と言われているような気がしてならないからです。
かといって意固地になるのでもなく、技術のいいところも吸収しながら、本の可能性、追求していけたらなと思っています。
(こじま・りえ)
クルミド出版チームの頼もしい取りまとめ役。発行人がいい加減なためしばしば起こる抜けもれは、彼女が大体拾ってくれる。時折メルマガを送ってくる「くま」の世話係としても知られる。
エクセル女子で、InDesignを使いこなし、社会保険手続きにも精通し、簿記3級、カメラも本格派のオールラウンダー。
1円の四捨五入の間違いを心から悔やむ割には、400文字の原稿依頼をすると、大体800文字くらい書いてくるので注意が必要だ。
寮母が夢。
クルミド出版には、「タイムリミット」というものが、あまり存在しません。と、言いますか、締切を設けると、それが急であればあるほど、予期せぬ何かによって遅れたり、叶わなくなったりするのです。
計画や目標を立て、尽力することは大切。でも、土に蒔いた種がいつ芽を出し、花や実をつけるのか、人が統制できないのと同じように、流れに身を委ね、丁寧にその時を待つ。そんなチームがひとつくらい、あってもいいのかなと思っています。
(なかむら・ゆうご)
『10年後、ともに会いに』では地図を担当。世界地図をフリーハンドで描くという、ちょっと理解不能な仕事っぷりを示した。ミドルネームはリアス式海岸。アリューシャン列島には秘密のメッセージを込めた。
一見ぶっきらぼうだが、慈しみ深き性格。大きな傘。
長距離走がとんでもなく早いが、ウォームアップをやり過ぎてアキレス腱を切ることもあるという。
漠然と未来を思い描いた時、それは理想を積み重ねた荒唐無稽なものではなく、むしろ手の届く、現実的でささやかなものになると思います。しかし、前提の変化までは考慮できないため、後になって過ぎた日々を振り返ると、多くの場合は存在し得なかった過去に変わっているはずです。
私にとってのクルミド出版は、現れるはずのなかった並行世界の窓の様です。
重力にも阿らない一条の光を放つ、そんな窓の様に感じます。
(よー)
クルミド出版つうしんの最終レイアウト・印刷・カット・設置を一手に引き受けてくれた。またクルミドギャラリーでは、それまでの庭師アシスタントとしての豊富な現場経験がいき、抜群の仕切り力を発揮。自然とリーダー役に。
写真を撮ろうとするとよける。
彼女が車の助手席に座ると、会話がラジオ番組風になり、運転者は決して眠くなることがない。
時折、フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』になる。
人と人からはじまった本、本から出会った人、広がっていく人と人のつながりを楽しんでいます。何かが生まれていくときの温度を側で感じる事ができるのを嬉しく思っています。
(ひでた・きぬ)
自ら中心人物になろうとは決してしないが、ポジショニングが抜群によく、穴があればふさぎ、断線があればつないでくれる。彼女のいるチームは強くなる。
5,000時間近くお店のシフトに入ってくれているアルバイトリーダーであり、お店とクルミド出版のかけ橋ともなってくれている。
祖父ゆずりの画力が近く発揮されるのではないかともっぱらの噂。
わいわいDIY部所属。
クルミド出版のメンバーに手をあげたきっかけは、無類の本好きだから!
いえ、違います。
出版関係の仕事にあこがれていたから!!いえ、まったく…。
ただその瞬間、自分の中で何かがときめいたんです。
戦力にならない私をみんながこの場で活かしてくれる、その気持ちがうれしくて自然と頑張れてしまう不思議な場所です。
横尾寿永堂は明治35年創業の印刷屋さん。岡城さんは、小柄な身体で大きな印刷機を大胆に繰り回す姿が印象的な、頼もしい仲間です。
九ポ堂版と違ってこちらは印刷機ですから、よりスムースに大量の印刷が進むかと思いきや、これはこれで大変。インキの温度によって刷り上がりが変わってきたり、ブロッキング防止パウダーが舞って凸版に付着することで文字がつぶれてしまったり…。
あまり受けることのない仕事、それでもめげることなく試行錯誤しながら、コツコツ、丁寧に仕上げてくださいました。
横尾寿永堂版にはこの版の、独特の思い出が詰まっています。
このプロフィール写真が十分語っていますね(笑)
「本文の版を凸版でつくり、校正機で印刷」……「はあ?」という感じだったのではないかと思いますが、そんな内面はおくびにも出さず、フレキシブルかつ迅速な対応で印刷の工程を支えてくださいました。
角田さんには、クルミド出版つうしんの第31話もご担当いただいたのです。そのタイトルがなんと…。想像を超えるユニークさです。
是非一度ブログもご覧になってみてください。深淵な角田ワールドにはまってしまうこと請け合いです。
真映社ホームページ
夏に町会で盆踊り会を開催しました 役割をきちんと決めておかなきゃダメよ と婦人部長は言いました 私はテキトーに決めておきました 当日は予想外の人出でてんてこ舞い でも みんなが勝手に動いてくれて なんとかなりました 決められたことだけする人ばかりじゃこうはいかない 喫茶店が本を出したって それはいいのです
本づくり、できたらいいなと考え始めていた頃、昔からの友人が手渡してくれたのが美篶堂さんの「コトノハノート」の小さなチラシでした。ああ、こういう職人さんがまだいらっしゃるんだ、と感動し、こんなところに本を作っていただだけたら素晴らしいだろうなと妄想し…。
何事も妄想してみるものですね。
製本所のある長野県伊那市美篶の里もお訪ねさせていただきました。
職人さんたちの、その静かで手際よく美しい工程は、本たちに最後の生命を吹き込んでくださるかのようです。
美篶堂ホームページ
クルミド出版との本づくりは、驚きに満ちたものでした。カフェから生まれた作りかたの手法は、まずは、私達の製本ワークショップにご参加くださるところからはじまりました。神保町のショップにはいつも、編集長、著者、デザイナーのチームで材料の吟味をしに何度も足をお運びくださり、ついには長野県伊那市にある美篶までも、訪ねてくださいました。こうした情熱は作り手にも伝わります。これからもご一緒いただけるよう、製本精進いたします。そうして、最後に私の夢を告白します。いつかいつか、製本屋もカフェを開きたいです。
きっかけは、酒井葵さんがお手製のくるみ割り人形のクリスマスカード、お店に送ってくださったことでした。
地元にこんな方々がいらっしゃるのかと、ドキドキしながらお訪ねしたのが数ヶ月後。お会いしてすぐ、この方たちにお願いしたいと気持ちの動くのが分かりました。以降、とんでもない印刷の工程を引き取ってくださり、『やがて森になる』ができました。
酒井草平さんも、著者の小谷ふみも、発行人も西国分寺三代目。ぼくらを動かしたのは、ぼくらだけではなかったのかもしれません。
九ポ堂ホームページ
ひょんな事からクルミド出版と関わらせてもらうことになって、いつの間にか季節が一回りしておりました。
「活版校正機で本を刷る」という風変わりな注文と格闘しつつできあがった『やがて森になる』は、私共にとって物作りの苦労と喜びが詰まった大切な一冊になりました。「風変わりで楽しい出版社として、50年後もその先も、ずっとそこにあり続けて下さい」と、やはり風変わりな九ポ堂は思うのです。
『やがて森になる』をなんとか活版で印刷できないかと考えているとき、美篶堂上島さん、九ポ堂酒井さんの双方からお名前をお聞きしたのがこの渓山さん。残念ながら活字組みでの印刷はかないませんでしたが、印刷を進める節々でいつも、よき相談役になってくださいました。
渓山さんも、2013年6月にFUPとして独立。台東区寿にシェア工房を構えられました。いつかきっとご一緒に、活字組みの本文印刷にも挑戦してみたいと思っています。
FIRST UNIVERSAL PRESSホームページ
「えっ、これから始めるのですか?」
クルミド出版の方々と初めてお会いしたときに、私が話した最初の感想だったと思います。1年経ち「本」が出版され、新たな企画も進行中と、順調な成果をお祝い申し上げます。機会がありましたら活字達もよろしくお願いします。